Gtv  Technical Design History

【 916設計者 Torino comune 】

    来日しているエンリコ・フミア氏がGtvの助手席に座って、武蔵野の地を    走ってると、道路案内標識の地名のローマ字表記を見ては、クスッとほほ笑む  事がある。何故かというと、イタリア語と日本語の音韻は似てるので、     日本の地名でイタリアの地名に近いものがあるらしい、ひょっとして      イタリア語のスラングと同じ読みの地名があるのかもしれない。        そもそも氏の住んでるトリノTorino自体、日本にもありそうな地名である。   そして、運転席に座らせると、やんちゃな運転をしては『トリノで一番速い』  と自分を言う。彼にとって、トリノは特別な意味がある。           それは何故かというと、トリノはクルマの町であるから。           FIAT本社がある事だけが、その理由でない。イタリアのAlfaRomeo、Lancia、 FIAT、他も含めほとんどは、トリノ市の人々が造ってるという誇りがある。  歴史をひもとけば、実は自動車の発祥はイタリア・トリノである。1854年に   イタリア人のボルディーノの蒸気自動車に始まり、1857年、バルサンチと    マテウシがガス・エンジンを発明した。ドイツ人オットーのそれは10年後の1867 年であった。                               1882年には、エンリコ・ベルナルディEnricoBernardiがガソリンエンジンを発明 しており、一方ガソリンエンジンを発明したと云われるダイムラーがガソリン  エンジンを作成したのは、エンリコのその後の1883年であった。それも排気量等 形式はエンリコのものとほぼ同じであった。ダイムラーがエンジンを発明したと いうが、それはガソリンエンジンを載せた自動車会社を創立、販売したのが初め てだったので、そのように喧伝(宣伝)された。                さて、                                  AlfaRomeo916タイプのSpider、GtvはAlfaRomeo設計、製造となっているが、   実際のテクニカル・デザイン(設計)、デザインは外部へ委託された。     916構想はAlfaRomeoからピニンファリーナPininfarina S.p.A.へ委託された。  テクニカル・デザイン(設計)、カー・デザインは分離して作業できない為   一括しピニンファリーナが請け負う事になる。                そして請けたピニンファリーナの社員だけでは設計、デザインを出来ないので  トリノ市の多数の職人集団に下請けされていく。それは、中世ルネサンス期の、 フィレンツェの絵画工房の様な、芸術家集団、技術家集団であるといえる。   例えば、クレイモデルの造形職人、塗装職人、曲面ガラスの職人、回路設計の  職人という様に、トリノ市には様々にクルマにかかわるマエストロ(職人、匠、 名工)がおり、またはその集団、企業、組合が仕事をしている市である。    諸国のクルマは自動車メーカー及びその系列企業が設計開発するが、916はトリノ にある独立した集団、企業、組合が分担し、開発設計した。          そんな職人集団が、ピニンファリーナの掛け声で集結しクルマ造りを進めていく。 集結した職人への指示、コンセプトの伝達と取りまとめ、コーディネート、   そして検証の責任を負うのが、Pininfarinaディレクター(デザイン部長である)。 例えば、                                 ディレクターはレンダリングスケッチを、30年来の友人、仕事仲間の模型作成職 人(モデラー)に渡す。何故かと云うと、そのモデラーは30年のつきあいによって 渡されたデッサン(平面)から、ディレクター(デザイナー)の感性を読み取り、 それをモデル(立体)を造形できる人間でなのである。つまり、同じ1枚の   デザインスケッチでも、モデラーによって別々の立体が造形されてしまう。   指名したモデラーは、30年のつきあいにより、最もディレクターの想う形を彫り 出してくれる相手である。そして、彫り出されたモデルを、ディレクターは手の 平でなでながら立体造形をチェックし、自分の頭の中にあった立体デザインに  なっているか確かめる。                          一方、916のテクニカル・デザインはどうなのか、              916のリア・サスは、ピニンファリーナ・ディレクターから、イタリアの著名な 設計技師へ委託された。その設計技師は、フォーミュラ1(Formula1)のとある  チームのテクニカル・ディレクター(設計主任)であり、F1マシンのサスペン ションを設計した人物である。ジョルジョ・スティラーノGiorgioStiranoである。 彼は、あのアイルトン・セナの死亡事故裁判に、オブザーバーとして法廷に招聘 され、技術顧問として見解を述べた程の権威のある人物である。こうした人物の 知能と腕によって916のリア・マルチリンクサスが誕生した。          916リアサスには、F1のテクノロジーが注ぎ込まれている。 916のあらゆる部分で、多くの職人が関わって、設計、プロト作成、試作車作成、 テスト作業に手腕を発揮したが、それはここでは詳細割愛します。        MiToと名指しされたAlfaRomeoがあるが、916は ToMi である。         前述のリアサス設計技師と、ピニンファリーナ・ディレクターは仕事仲間で友人である。 設計され実装されたリアサスの走行試験に、二人は916開発車に連座し運転し、 テスト走行を繰り返す日々があった。そうしてトリノの近郊を916は疾走していた。 ピニンファリーナ・ディレクターEnrico Fumiaは、日本でGtvに乗ると、 テスト・ドライブのその時を思い出しては、ほほ笑むのである。 916はトリノに居るクルマの匠が技を結集して創りあげた芸術品といえる。

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