初めて会ったその月の月末にフミアさんと再び会う事が出来ました。 こちらから、拙車Yに試乗をどうぞとE-mailしていたところ、日曜日に 会いましょうと言う事になった。品川で会い、例によってイタ飯レストランテに 行って昼食しました。フミアさんとその奥さんが同乗しました。往路は、 奥さんが運転して飯屋の地下駐車場に。まっ、オートマ(CVT)なので、 なんなく運転OK。 レストランテでは、僕が御みやげに持ってきたアルバムを囲みパスタの載った テーブルで談笑した。 これは、過日6月8日のオフミの情景をプリントアウトしてアルバム化したもので ある。及び、拙著LanicaYホームページのデザインヒストリー章を、拙宅のポン コツPCの低速亀的速度プリンターで徹夜で印字、編纂したものである。たいそう 喜んでくれました。 「帰国して即、計画中のxxxx(秘密)のデザイン提案でFIAT社首脳と 打合せする予定があるので、その席上で披露して見せて、日本の ファンを自慢するぞ」、と師は御機嫌で、 食後のエスプレッソを口にふくめる。一方、話題の中で師は、「貴方のYはいつ バーゲンに出されるか?」と聞かれた。僕は、「すみません、カミサンと話す 必要があり、それからにして下さい。」と、答えておいた。 一方、アルバムに話題を戻すと、その巻末にはフミアさんのポーズを真似て、 僕が同じポーズを取って撮った写真を挿入してあった。この写真、クルマ・ デザイン誌の「CarStyling誌」のエンリコ・フミア特集号の中での写真の一つで ある。構図は、師がLancia-Yとalfa-Gtvの間に立って被写体になってる絵で ある。そして、僕もこれを真似て撮影した。僕が撮影した時期、それはお会い する事もないと思っていた3年前の頃であった。マネをするぐらいに憧れていた のである。 もちろん、僕の方はイタリアではないので、Yは自分のY、Gtv はあのI坂氏を呼び出してGtvを持ってこさせて某所で撮影した。 この写真を見て、師は大変興味を示した。 僕がフミアさんを憧れている気持ちが、言葉いらずに伝わったのであろう。 ・・・ しかし、この写真が実は後になってGtvの運命を変えたのである。 食後とショッピングの後は、駐車場で師が試乗、操縦しました。国際免許が無い ので順法範囲での運転でしたが、さすがイタリア人の走りで危なっかしい運転。 「右手はどうする? オートマでは、やることが無い」と右手を挙げて大袈裟に ジェスチャーしながら笑う師。どちらかと言うと、欲しいのは奥さんの方である。 だって、師の家には、エレファンティーノYが既にあるんですから。![]()