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フェーズ3. Lancia-Y帰路 with AlfaRomeo-Gtv

    ところが、『帰るだけ』では済まされなかった。昼食会の終わる頃に、    幹事I村氏から「帰り道は、フミア師一行を送ってくれないか」と耳元で   ささやかれた。エッ、寝耳に冷水怒涛注入ではないか! 幹事曰く、    「CVTのYに興味あるので、だれかのCVT-Yに同乗したいとの事。      さっきからズーズーCく、フミアさんと話してるから、いいでしょう」と、  半場押し付け的要請。 あわてて、冷水を強制圧入飲みこんで酔いを醒ます。 (法的配慮として言うと、ワインはグラス1杯で酒気はありません)     で、あせりながら、心の準備も無く帰路出発。師は昨日名古屋空港から来て  いたので、荷物が多々あり、同行の日本人スタッフ(フミアデザイン社社員) の荷物もあり、それら荷物はI坂氏Gtvに要請し載せてもらった。     皆が見守る中、「ちゃーんと送っていくのよん」等と参加者諸君に冷やかされ ながら出発。                              後席に社員(FDA社スタッフ)のhIdE氏、そして、助手席はガッチリした  体型の師が鎮座。後続車は、GtvのI坂氏一人で荷物と同居。6月の今は  当然蒸した暑さで、エアコンを入れ窓閉めるので、パスタのニンニク臭い僕は 同乗者に配慮して息を殺す。                       車中会話、hIdEさん、「どういう御仕事されてるんですか?」と、聞かれた。 プレゼン時の専門的な質問、車の誘導、サイン整理係等してる、こんな人物? よく解らない妖しい。と、不思議に思ったらしい。 他に、僕の稚拙な英語で イタリア、デザイン、車歴のことなど話していたが、            まもなく、「あのー、宜しければこのYを譲って戴ける考えありますか?」  と、質問された。                            「そうですね、どうせお譲りするならフミアさんに行くのは本望ですネ」と、 答えておいた。なんせ、急な事なので心中で決心は出来てない。でも、    フミアさんの手で走るならば、このYの運命も素晴らしいものになるでしょう と想いながら運転していた。                       途中、クルマ談義等をしながら、例えば、前を走る新型本田アコードを    指差しながら「あれは、156のテールにそっくり」だとか、話しながら厚木の 地獄渋滞を抜けたりして、夜8時頃に品川のFDA社オフィスのビル下に   着いた。初対面でありながら、長いつき会いになった事と、お送りした事で、 握力ある堅い握手でフミア氏と別れた。                  別れた師の背中を見送った後、そのままビル下でI坂氏と、しみじみと感動の 余韻を話していると、どこからか偶然にもAlfaRomeo-164がやって来てビルの 中に入っていった。これを見ながら、I坂氏がつぶやく様に言った、     「だれだか知らないけれど、あの164のオーナーはまさかそのデザインした人 が同じビルの中にいるなんて思ってないだろうな」。            これが、今日一日を締めくくる言葉でした。そうです、多くの人は自分のクル マをデザインした人なんて知らず、そして何処に居て、まさか会えて、握手ま で出来る事なんて、夢にも思わないでしょうね。              それ程に、めったにありえない運命的な日だったのです。

■つづく、次章へ

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