【  Gtv naturalizzata in Giappone 】

フェーズ29. 登記作業

    いよいよ、車両登録の日である。2004年2月25日。この日を以って日本を走るクルマ  になる。これは、登録の手続きが順調にいってのはなし。昔は、ほとんど自分で登記   手続きに行った。練馬、品川、習志野とか。でも、最近は自分で申請に行ってない。   陸運局と言えば、役所なので、その時の思い出では、係員に「あーしろ、こーしろ、   こー書け、次はあっちだ・・・」と言いつけられて、大変な思いをした覚えがある。   局の係の方は、こっちが素人で業者でないと解ると親切に対応してくるだろうが、    心配なのは書類に不備あって手続き中断の事態にならないか。なんせ、キャリアー・   カーには陸運局へ持ち込むようにお願いしてあるので、もし手続きに失敗したら、    そこに愛しきYuGtvは置き去りになる。(置かせてくれれば)            朝、早々に起床し、必要書類とそれ以外にも念の為、万が一に備えてありとあらゆる   関連書類を3ウェイ・バッグに押し込んで背負う。当然クルマでは行けない。      帰りに2台を一人で運転できない、ので電車にInternetで調べた地図を手に乗車する。  ポツリッと、東武野田線運河駅ホームに降り立つ。ここから、国道16号の野田陸運局まで もくもくと重量な書類と実印の入ったバッグを背負って徒歩。野田でも醤油の匂いは   してこない地域。もくもくと行かず地図を手に、まごまごと歩いていると、携帯電話   のバイブ鳴動した。キャリアー・カーの運転手から、「もう御クルマを積んで到着して  います」と告げられた。あわてて急ぎ足で迷いながら陸運局に着いた。         着くと、入り口正面の駐車場にキャリアー・カー。そこには、待ちに待った、初めて   見るYuGtvが後ろを向けて鎮座してる。携帯で写真を撮ってると、運転手殿が     運転席から降りてきた。                              「さっそく降ろします」と、云いキャリアー・カーの積載斜面を登頂し乗り込み、   降ろしてくれた。どんなキャリアー・カーに積まれてくるのか少々心配でしたが、   しっかり一階建て傾斜型キャリアー・カーでした。降ろしたGtvのルーフで     引渡し書を広げてサインをして、引渡しの儀式は終了。キャリアー・カーはさっさと  ディーゼル排ガスを残して帰ってしまった。                    広い駐車場、朝の冷えた空気の中に、僕とGtvが立ち竦む。 さてこうしてられない、これから手続きの難関である。自分でエンジンをかけて     車検用の駐車場まで50mほどの初運転。うわーー! このエンジン、日本の空気でも    燃焼するぅ、あたりまえ。こうして、50mの初運転に感激。               所内の案内に従って、新規登録のカウンターに行って、所有者本人が手続きすると    持ちかけて、まず申請各所書類の代書を頼む。昔は、陸運局の近辺に代書屋が軒を    連ねていて、そこらへ頼んだもんでした。約4千円もした。今は、局の担当者が代書   してくれる(適正値な1.5K円)。以降の手続きは、こちらが業者でない素人なので    局の方はとても親切でした。時代が変わったのでしょう。業者には事務的語調ですが   僕には親切モードで対応してくれました。                      途中呼び出しがあって、必須事項でないがクルマの製造年を知りたいと係員が言う。   FIATの納品書を持ってきていたが、それは国内(日本)書類でないので参照できないと   いう。で、なんとシートベルトに縫い付けられたラベルを見ていた。確かに、そのラベル には、メーカー名と製造年とか明示されている。                   こうして心配していたのを裏切られて予想に反して順調に手続きは推移して、最後に   ナンバープレート1800とその取り付けネジをもらう。               プレートを取り付けて、車台番号検査係を呼びに行くと、番号とナンバーを調べて、   プレートに封印を、バシッと打ち込んで、全手続き終了、無事に。           冬だが晴天下で少々春うらら的な今日の午前。1800の付いたGtvを        陽だまりの中眺めて、思いのほか早く順調に登録完了し一安心、ホッとする。      まだ、11時頃。田舎の陸運局で、しかもまだクルマ業者がそれほど来ていないので    閑散としている今日の野田陸運局。感激しながらGtvの回りを何度も眺め廻る。    それでも飽き足らず、ボンネット、トランク、ドアーと順に開け覗き込む。       やっと自分のものになった。感動、感激、歓喜、感謝、疲労。             あまりにも長い道のりでした。その時が黄昏時刻ならば一人涙が出てたでしょう。    交通量の少ない時間帯の16号をイタリア・デザインが滑らかに流れて行きました。         僕の手で、自宅まで。      

■最終章 へ

 帰化日記 目次に戻る 

 YuGtv トップへ戻る