1995年頃、カー雑誌にAlfaRomeo916スパイダーとLanciaY11イプシロンの 写真記事が載った。勿論、まだ本国でもリリースされる前であった。職場同僚、クルマの友人は、その写真を回覧しては異口同音に、 「これはちょっと奇抜すぎる。もし乗る人がいたら、その人の顔を見てみたい」 等と冗談を飛ばしていた。 しかし、1999年にLanciaY11イプシロン、2004年に916Gtvに自分が載る事に なってしまった。それで、鏡で自分の顔を見るしかない。 自分でもよく解らないが、その時になると不思議に乗ってみたくなったのである。 デザインに慣れてしまったのではなく、そのデザインに魅了されたであろう。 デザインの先進性にやっと追いついたのかもしれない。 2000年に私自身イタリアを旅行した際は、どこでもいつもで多くのにLanciaYが 走っているのを見た。イタリアでは、奇抜なデザインではなく、多くの人が 認めるデザインであり、そして街の景観の中に溶け込んでいた。
そして、2006年になりフミアは、Lanica-Jをデザイン、提案した。 その1/8モデルを目の前にして、フミアから 『タナカサン、どうですか? 感想は? 評価してください』と、問われた。 しかし、何も言えなかった。フミアは困惑する僕の顔をみて、微笑んでいた。 いきなりは理解できないでしょう、と思っていたのかもしれない。
それは、Lanica-Jの発表パーティーの時であった。知り合いとLancia-Jの 賛同者だけの会合であった。パーティーの序盤には、Lancia-Jデザインの コンセプト・プレゼンテーションがあり拝聴した。 プレゼン後、会食の場に戻り、改めてこう述べた。 『現在自動車の開発サイクルは4年以下。早いメーカーでは2年と短い。 しかし、この速度に追いつくために4年が寿命の短命なデザインを していてはならない。 私は30年後になっても通用するデザインをする』、と。 そうです、彼のデザインが解るのは、現在でなく数年後の彼の唱える時代に なってからなのでしょう。現実に、私はフミアが29年まえにレンダリングした デザインのクルマに時代の古さを感じることなく現在も乗り続けている。 奇才といわれる エンリコ・フミアEnrico Fumiaは、 時代の異端でなく時代の先端なのであろう。
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