デザイン・ストーリー Design Story

    この章では、デザイン・ヒストリーを記述するつもりであったが、916に関しては 「デザイナー」と「クライアント」が別々のヒストリーをくりひろげていた。    (クライアントとは、依頼したFIAT社とAlfaRomeo社)               勿論、二つのヒストリーが連携して進行し、最終的に一つのクルマのデザインとなる が、二つのヒストリーを同時に語るのは難しい。ここでは、クライアントの     ストーリーを述べる事とします。                                   デザイナーの提案とデザイン哲学に関しては、                  別記「デザイン・フィロソフィー」で述べます。     
    916GTV、スパイダーのデザインは、このレンダリングからすべてが始まった。  線を引いたのは、当時のピニンファリーナ・ストゥディ・エ・リチェルケの     チーフデザイナーである エンリコ・フミアである。時は1987年、ヒストーリーは  この時から始まる。                              多くの場合は、セダン、クーペなりのクローズボディが先にあり、その後に    スパイダーがデザイン、提案されるが、916の場合はスパイダーが先行された。 それは、それまでのスパイダーである デュエット・スパイダー(DUETTO SPIDER)  の後継を急がれていた理由による。フミアから聞いた話しでは、『スパイダーの  デザインが首脳陣に満足させるものであったのでクーぺのデザイン要請があった』 との事。                                  尚、916については、以下の4つのデザインセンターより提案があった。             ・ピニンファリーナ                             ・ベルトーネ                                ・I・DE・A                               ・AlfaRomeoデザインセンター               ピニンファリーナ所長のロレンツォ・ラマチョッティLorenzo・Ramaciottiが、  『個性的なプロポーションと量感を持つ』と賛同するだけあって、提案受けたFIAT 首脳は迷うことなくフミアの案を選び採用した。                1988年、早速にアルファロメオ首脳陣は、これをフルスケールモデルにした。   当時のフィアット・マーケティング・ディレクター ヴィットリオ・キデッラは  それを目にして即承認、開発スタートした。                  そして、916の開発とモデル作成はピニンファリーナへ委託され進めれた。   インテリアデザインに関してもピニンファリーナはデザイン提案した。 が、しかしインテリアデザイン作業は社内(アルファロメオ・デザイン・センター) へ引き継がれ進められる事となった。                     そして、1990年、                              キデッラが退陣を余儀なくされ、パオロ・カンタレッラPaolo Cantarella が   フィアット・マネージング・ディレクターに任命され、その後フィアットの    全権を握った。この交代劇の間の二年間は開発の空白期間であり、就任した    カンタレッラは後れを取り戻す為、開発を加速させた。             むしろ、この空白を回復する為に、カンタレッラは次の時代のスタイルを先取り  するかのように斬新なデザインを次々と採用、承認した。            例えば、クーペフィアット、AlfaRomeo156、LanicaY等がそれである。      1990年代初頭には、AlfaRomeoとクライスラーChrysler LLCの合併企業アルドナを 立ち上げ、アメリカでAlfaRomeoブランドの新型スポーツカーを販売する戦略が  持ち上がった。                               アメリカのマーケッティング・チームは、この開発中の916を大いに気に入り  これを、アメリカの車両基準に合わる事と、アメリカ人"好み"のインテリアに   改変させてしまった。                                                    具体的には、V6エンジンの搭載、オートマ・ミッション、そしてスポルト感より  派手なインテリアデザインが求められ、デザイン変更が繰り返された。まず、   エンジンベイ、エアインテイク、ワイドタイア、及びトレッドの拡大へと     設計し直しまで波及した。                          結果、コストが増大し、アメリカ市場では消費者に受け入れられない程の価格と  なってしまった。同じティーポベース車(Tipo base)の兄弟車の中でアップ    スケール感あるデザインとなった理由はこの事である。             特にインテリアデザインは混迷をきわめ、作業が中断した時期が長かった。    担当した、アルファロメオ・デザイン・センターのウオルター・デ・シルヴァ   Walter Maria de' Silva は、「このクルマは、アイデア、選択、再考の混乱に  翻弄された。経営陣交代劇の作品である」と語っていた。たしかに、インテリア  は、開発期間終盤のわずか2年で急場しのぎで作られたものである。       インテリア・デザインが不評なのは、このような経緯の影響である。       GTVの助手席に座るフミア師に、知っていることでありながらあえて質問した。  『このインテリアデザインは貴方ですか?』と、質問すると、返す言葉は強く   こう言われてしまった。 『これは私のものではない』と。彼の顔を観ると、   自分の作品でなく、しかもエクステリアデザインとの調和が欠如したデザインで  あると、インパネを指さしながら、無言で表情で語っていた。          開発期間を8年の長きを要して、1994年10月パリモーターショーで発表された。  その8年間は右往左往と連続の開発物語であったが、この混乱の中にあっても、  フミアのデザインだけは一貫しており改変なく、そのまま量産化の形となった。                      <以上写真 CarStyling誌1995年>

 Fumia Design Associati エンリコ・フミア サイト 

 Pininfarina S.p.A. 


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