【  Y 日記 】

1999-03-28 第二日目 ”さよならDEDRA”



    今日は忙しいぞ、、、 今までの愛車DEDRAの売却日である。 売却の前に、奇麗にしなければ 気がおさまらない。 でも、まずYが前日の雨で結構汚れているので こちらから洗おう。 Auto-Trading社のK氏がビンビンにWaxをかけていて くれてたので、泥が面白いように落ちた。 で、DEDRA(以下 Dとする)の最後の洗車が始める。 洗いながら、 この車の出会いの試乗の時から始まって、順に共にした思い出が 目の裏に浮かんで来る。 失業時代に、東北一周ドライブに行った事等。 そして、これでおしまいかと思うとかなり寂しい。 今までの中で 最も楽しいクルマであった。 ちなみに、私の車運転歴は、  ・ 脱兎産 Cherry F-2  ・ 同   PULSER  ・ MAZDA RX-7 初代  ・ FIAT Ritmo初代  ・ 同 Uno 60S そして、このDである。 この中で、やはりDが一番良い。 Ritmo以上に実用性あって、スポーツ性もRX-7より素晴らしい。何がいいかと言うと、 "羊の皮を被った狼"、だからである。 古めかしさを意識的にかもしだす端正な セダン・スタイルに乗り込み、走り出すとそれは外見と違って、エンジンの存在 を強く意識させる直情的な感触を受ける。 車というものはは自分で操って そして”運転してる”という事が伝わってくる味付けである。 30年以上以前に設計し、量産エンジンで初めてコックドベルトを採用した ランプ・レディーの名作エンジンを、何故この時代までLancia使い続けたのか 解る気がする。 外見とはイメージが違う。 Lanciaらしく上質な室内と、官能的な操行性。 欠点は、スナッチの嵐のエンジンとマウント。 そして、ガクガクする脆弱な クラッチ。 Milano-corp.に持って行くと、この車はまだ客がつく、との事でした。 65000Kmで、7年過ぎたと言うのに、タマが少ないので商売になるらしい。 それに、Tipoベース・シリーズの中でも剛性がありTHEMAよりしっかりしてるとの事。 たしかに、結構重厚な走りをしていた。 だから、まだ買い手があるらしい。 キーを授けてDに別れを告げ、三郷よりトボトボ寂しく肩を落として徒歩で帰ると、 黄昏の空の下、自宅でYが待っていた。 暗くなる前にすべき事がある。 それは、外気に触れるあらゆるパッキング、 ゴムシール類に汚れ皮膜が形成される、その前に保護皮膜を塗る事である。 ドアー・パッキング等に、ポリメイトをたっぷり塗り込んだ。  これで、ゴム類の寿命がぜんぜん良くなり、ヒビ割れなどが発生しにくくなる。 ところが、ドア・パッキング(ゴム・モール)が、結構凝った形状をしていて、 部分によっては、何重にも多層になってるところもある。 おそらく、デザイン優先でドア周辺のボディーのカーブが特異になり、 それに合せててシールの形状も特殊になったんだろう。 こんなところが、プントとの差別化であり、Yのコストをつり上げてる原因だろう。 そして、今晩は、光軸調整の夜である。 昨晩、Yを運転してるとヘッドライトは、 5m前方の地面を照らしていて、遠方が照射されずまったく危険であった。 適当な壁を捜してそこに照射しながら、ボンネットを開けてヘッドライト後部の あらゆるネジを回して見た。 どうにか、垂直角度調整ネジを見つけた。 夜にボンネットを開け調整する姿に、通りががりの車が不審そうに徐行して行く。 気がつくと、壁に投影される光束の上面が、右上がりになっている。 これって、右側通行用のライトではないか。 Lanciaか、輸入元の手抜きだな。 でも、車内には、光軸調整つまみがあり、これにてヘッドライトが電動で上下する。 この機能で随時調整して、対処しよう。 この機能ってとても便利である。 やはり、欧米人は目を大切にしますね。 下らん装備に金かけて売り込む和国自動車商品と違い、操行性の安全確保に 重きを置く思想を感じ取れる。 夜中の11時まで走り込む。納車してから、この時点までの操行距離は300Kmになった。 ここで、所感を述べたいが、眠いので明日にする。






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