【  Y 日記 】

1999-03-27 ”納車日”



    前夜に、自宅で開催された"Y納車前夜際"のワインのせいで、ちと 目覚めはすこぶる渋い。 昨夜は結局、カミさんと一瓶飲んでしまった。 御天気も曇天で、いまにでも水滴が落ちて来そうに重い。 千代田線に乗り込み、shopのある目黒に向かう。 通勤定期が使えるので ちと便利。 それもそのはず、Auto-Trading社が、勤務先の近傍だからこそ 試乗もでき、候補車を捜す事も、定期を使う事も出来たのである。 物理的には眠たいが、論理的には興奮してるので、目を開けたまま頭の中は アイドリング状態で、電車の中をすごす。 目黒について最初に寄った店が、 ラーメンの"天下一番"。 が、しかし開店前(10:30)。 「イタ車にネギ臭い夫婦も変だろウ」という意見で、このコースは却下。 で、まだ時間があるのでコーヒを飲む事にした。 目黒には、ベローチェと、 ドトールがあるが、当然伊語のベローチェにする。 おっと、その前に 酒屋に寄ってシャンペンを買わなきゃ。 店に入ると店員のオバチャンが 用途を説明してないうちに、\3000のイタリアものを持って来た。 さすが、 伊の雰囲気がにじみでてるかと自己満足してたが、ちと高いので \1000のメルシャン・シャンペンにした。 家内がへんなとこで割愛するなと、 自分の財布をバッグの奥深くにガードしながら文句をいってた。 こっちの方は、今趣味でやってるKartでレベル・アップし、やがてF1の表彰台で、 シャンペンを浴びる予定なので、それまでの我慢とする。 で、ベローチェでエスプレッソをふくみながら、本機(HP-200LX)で去年書いた Y試乗記をカミサンに読ませて時間をつぶした。 窓外は、今にも雨が落ちてきそう。 厳流島へ向かう武蔵のように少々の遅れで、Auto-Trading社(目黒支店)に登場。 カミサンを本件担当の営業K氏に紹介し、早速書類の確認と、実車で操作法、 注意点のブリーフィングが行われた。 オーナ・マニュアルは、訳もされてなければ なんと英語版もない。 K氏曰く、スペイン語じゃないの、とか。 どうしてかと 尋ねると、FIAT S.P.A. と、裏表紙に書かれているので。 SPAがスペインの意と 思ったらしい。 でも、これって、英語の"Co.LTD"や、ドイツ語の"Ag."、日本の(株) と、同じ略称だよーんと指摘した。 帰宅後、我書斎の伊語辞典でマニュアルの 本文を調べたらイタリア版のようであったが、会社でラテン語を第二外国語に した人に聞いたら、スペイン語であった。 K氏のおっしゃる通り。 さて困った、どこか、英語版でも捜すか、洋書屋かどこかで。 ブリーフィングの中で、奇妙だったのはスペア・キーのエントリー方法である。 ここんとこだけは、店で訳した資料があった。 手順は、防犯のためここで明記 できないが、スペア・キーを町の金物や複製した後、車の防犯システム ("Lancia Code SYSTEM"という)に、登録作業を行なわなければならない。 そのスペアは、特に赤外線発光とか、電子認証回路とか装着されてはいない ただの金属片であっても、そのエントリー儀式がひつようであり、そうしないと エンジンがかからないらしい。 不思議である。キーのギザギザ意外に、 電子回路を持たない方法でどうやって、仕掛をつけてるのであろうか。 とりあえず、スペアキーのベースを店経由で、本国に注文した。\12000也。 さて、いよいよキーを担当K氏から受取り、引渡しの瞬間、、、 ちょっと待って、 シャンペンで乾杯しよう、と待ったを入れた。 めくばせするとカミサンが シャンペンを持って来た。 K氏とカミサンとで3人でつぎ合って乾杯。 ほんとは、全店員の参加が希望であったが、交通量の多い山手通りでは 恥ずかしいようである。 「Tさん、粋ですネ」とのK氏の御世辞に満悦しながら ボンネントにシャンペンをかけると、せっかく車を磨いてくれてたK氏、目を 丸くしてた。 ボトル半分になったシャンペンを店に置いて、受取った車検証等の 書類を詰めたカバンを後席のAlcantaraシートに置く。 実はこのカバンを置く動作は意図されたものである。 このカバンは、東レのスエード調人工皮革と呼ばれる特殊素材で縫製された ものである。 この素材を東レがイタリアにもっていって、イタリアの アパレルと提携したのが、Alcantara社である。 今回、Yのオプションで 特に指定したのが、この素材のシートである。 15年程前に、Lanciaで採用され その後、FIAT、alfaでも使われて、今ではブランド名こそ隠してあるが、 独車、英国車、仏車でも、採用されている。 もはや、これを使ったシート、内装で ないとカタログの時点で、競合に負けるらしい。 素材は同じ、シートの上に、 カバンを放りなげて、、、 若干の酒気帯びなる新オーナのステアリングさばきで、Yはプオンとのクラクション 一発、Auto-Trading社を発車した。 バックミラーには、奇行する客をやっと 送り出したという表情のK氏が手を振っている。 御世話になったし、これからも御世話になります。 Auto-Trading社の数軒となりには、昔の愛車FIAT-Ritmoで御世話になった輸入車老舗の TOHOモーターズがあり、その前を通過した。 今は、BMW販売店にすぎない。 ずっと昔、いとこのO兄(現TAXI会社社長)が大学出た後、丁稚奉公で働いて 車を覚えた、そんな老舗であり、私が小学校の時、O氏が祖母のとこに来て、 オペルを買わないかとカタログを持って来たのを覚えている。 その頃、 外車といえば、アメリカ車とオペルしか僕は解らなかった。 Lanciaの三角鼻穴と違って、豚鼻穴のBMWが置いてあった。 イタ車shopの興亡を物語っている。 やがて、Yはラーメンの"天下一番"の前を通過したが、どうしても食べたいという カミサンに、停めるところがない、と断念させて、Yを勤務先Arcoタワー(雅叙苑内) に駐車させた。 雅叙苑の警備員が不審がる中、タワーと雅叙苑のエントランスの 景観をバックに、デジカメでYを撮った。 もう降り出しそうな空の下、暗い為か、 Yの剛性感あるLancia Blueが、いまいちファインダーで質感が出てない。 Arcoタワーの”Arco”とは、伊語で”円弧”の事である。 円弧カーブをテーマに それをひつこく反復させたYのデザインにマッチさせ様と狙った私の演出である。 そこを後にすると、やがて雨が落ちて来た。 今は弥生の時分。 では、櫻花見とばかりに密かな花見名所の赤坂Arkタワーに、 向かった。 Arkの丘の上、桜はまだ五分咲きで残念であるが、その並木の中、 洒落たレストランを発見。 テラスを伴ったそのレストランは、まるでTorinoの 街角のようである。 以前の勤務先はこのArkビルの中にあり、周辺を徘徊してたが、 その時分にはこんな店はなかった。 車は無理かと近づくと、狭い駐車場があり、 MiniとOpelがされげなく居た。 そこに並べて、Lanciaを停めた。  車から降りて見ると、小雨の中、塀の赤レンガを背にYが妙に溶け込んでいた。 ラーメン転じて、パスタとカプチーノを、テラスからYを眺めながら それをおかずにフォークを回転させた。 まさにYを手にした日の最高の情景である。 熱望していた車に、最高の食事、最高の背景、"とりあえず"であるが最善の妻。 今この時それらが私の視界にすべて納まっている。 クルマを趣味にする者にとって至福の一瞬である。 食後、Yをテラス前に移し、「野田ナンバーなんだからやめて」というカミサンの 制止をふりきり、そこでまたデジカメでYを画像メモリーに入れた。 後日、この画像を友人の誰が見て言うのは、画質の悪さのせいもあって、 どこかヨーロッパの街中であろうと。 この前週に、上野の国立博物館でルネッサンス特別展がオープンした。 偶然にも。 きっと、私のYを祝してくれたのであろう。 帰り道なので、寄って駐車場に Yを現代のルネッサンス・デザイン(屈指のカー・デザイナー、エンリコ・フミア作) として展示しようかと思ったが、雨がひどいので断念した。 進路変更し、レインボー・ブリッジとダイバを周って、野田ナンバーのYは 新しい御主人様の意に従い新しい定住の地、柏に向かった。






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